物書き健児

物書きに大切なのは健康である。

どうせクソバイスになるから

最近SNSでコメントを入れる回数をめっきり減らした。

もちろん、個人的に付き合いのある方は折をみてコメントを入れるが、とくに交流の無い人で「ほっとけないから何か一言」というのは辞めたんである。

 

そもそもTwitterとはつぶやきである

 

Twitterとはつぶやきをのせられるサービスだ。つぶやきはつぶやきであって、誰かと積極的にコミュニケーションを取るものではない。

 

だからそこを見誤ると、自分のようなおせっかい病が発動してしまう。

 

これまでもネタのツイートにマジレスしてしまい「これはそういうネタなんですよWマジレスうけるWWW」と返されて気まずい思いをしたこともある。

 

Twitterで愚痴をこぼしているひとが心配になってコメント入れたら、あとあと傷つけられたこともあった。

 

そのため最近はTwitterでもあまりフォローしよう、とならなくなった。そしてツイートが流れてきても、「いいね」だけにとどめるようになった。

 

ネガティブな気持ちにさせてPV稼ぐのがTwitterの戦略

Twitterにいるとどうもダメである。流れてくる会話の大半は直接の知り合いでないから話に入ることもできない。入れば入ったで奇異の目で見られる。

 

これはリツイートのことではない。Twitterがおすすめしてくるトピックスの事なのだが、見ず知らずの人達のつぶやきがわんさと流れてくるのでストレスになる。

 

また、140文字でのツイートで言いたいこと全て言えるわけがないから、精神的な調子が悪いときに見ると何気ないツイートがクリティカルヒットすることもある。

大抵こういう時は「あ、もうダメだ」と切り替えてさっさと寝るに限る。

 

会話に入ることもできない、見ず知らずの他人の大量のツイートの流れにいると、強い孤独感を感じる。その上にやってくる政治に関するネガティブなツイートや陰謀論めいたニュースを見ていると、心底うんざりする。

 

その上でフォロワーの少ないアカウントの発言は間引きして見えないようにする。難癖をつけてシャドウバンする。

Twitterの戦略でもあるだろうが、穿った見方をすれば同社の方針はあまり明るいやり方だとは言えない。

 

20年前のネットの世界は「仲間内の心地よい閉じた世界」であった。

いまやインターネットには全員が接続できるものの、パーソナルスペースもヘッタクレもなくなった結果、どこまで干渉してどこから引くべきなのかよくわからない世界が出現した。

 

自分で情報を選ぶ世界でなく、何気なくドアを開けた瞬間に大量に情報が雪崩をうってくる世界である。だからくたびれてしまう。誰かの何気ない発言に必要以上に傷ついてしまう。

何かコメントを入れたとしても、場合によってはクソバイスになってしまう。そのたびに気まずい思いをする。そうなるとSNSと言う庭の中でヤマアラシのように一定の縄張りを保ち、死せる貝のように押し黙っているほかなくなる。

 

SNSで酸欠になりかけるから、こうやって個人ブログでわずかばかりの酸素を吸いに来るのである。

 

商品とかのリンク

 
SNSとは魔境と言うほかない。毒まみれのこの世など。
 

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